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■読書

年末は嘆きたくなるほど仕事に追われ、仕事・研究関連で年始にヨーロッパにおり、更新ができないでいた。
学ぶべきところも多く、また楽しくもあった旅行を終え、仕事にばかり追われていてはいけないと、色々本や論文を読みあさり、執筆準備をしたりしているが、そんな中、下記の本がなかなかおもしろかった。

読んでいない本について堂々と語る方法読んでいない本について堂々と語る方法
(2008/11/27)
ピエール・バイヤール

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本は、読めば良いというものではない。
まさにそう思う。
勿論読むにこしたことはないが、書かれた本の全てを読むことができるわけでもない。
しかし、かといって専門領域の本だけを読むことでは自らの専門領域を位置づけるのに苦しむことにもなろう。
そこでこの本で繰り返される主題は、本を読まないことを自己を律する立派な活動ととらえることであり、教養とは書物の間の位置関係をつかむことであり、自分を方向付けることができるかどうかが教養の有無にかかわってくる、ということである。
まさにテクスト/コンテクスト問題だが、ではどうすればよいのか。

読書のパラドックスは、自分自身に至るためには書物を経由しなければならないが、書物はあくまで通過点でなければならないという点にある(p211)。


そして、バイヤールは

もしわれわれが、本書で分析してきたような多様で複雑な状況において、重要なのは書物についてではなく自分自身について語ること、あるいは書物を通じて自分自身について語ることであるということを肝に銘じるなら、これらの状況を見る目はかなり変わってくるだろう。(p211-212)


とまとめる。
読書は創造の手段であるとする彼の意見には頷くこと頻りである。
研究者としては、無論先人の議論の積み重ねを知らなければならない。敬意を払うことは必要であるが、神聖視する必要はない。そしてなにより議論が
積み重ねられなければならなかった文脈を知らなければならない。当たり前のことだ。
訳者の「書物は、物理的書物とそれを読む者とのあいだにある」(p229)というも然りである。

まったくもって、読んでいないことや読まないことの重要性を敢えて語る、しかも単なる「ハウツー」本にならずに述べることに成功している、面白い本であると思う。
書かなければならない論文やらを抱えて、本や論文を読みつつ、「読まない方が書ける」「読んでいると書けない」と述べる本を読むのはいささか自虐的な気もするが(笑)。

一方で、昨年テンニースのゲマインシャフトとゲゼルシャフト〈上巻〉』『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト〈下〉』を読んで、良く話に聞くテンニースのイメージを覆された経験もある。
古典は聞くだけでなく読んでみるべきだ、としみじみ思ったものだ。
無論どちらも間違ってはいない。

ただ、書けさえすれば良いのだ。

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■読んでいない本について堂々と語る方法 ピエール・バイヤール(筑摩書房)

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